男は部屋に自分の国をつくる
オレのための、オレの部屋
男の香りなどなど、ページごとに書かれているお題は若干勝手さをも連想させますが、読んでみてなんともアメリカンな香りと女性からモテる男のための雑誌のようなこちらの雑誌は、昭和55年11月30日に発行された「男の部屋 vol.1」
「肩ひじはった仕草は、自信のなさの裏返しだ。男は気負わず、かまえず。
身についた実力は、自然に表にあらわれる。」
一本のバラとさらりと香る男。
キザですね。
パイオニア株式会社の広告です。
さりげなくハイカットのコンバース。
コンバースといえば、キルスティン・ダンストが演じるマリー・アントワネットの映画の中で沢山のお菓子やチョコレート、ダイヤやドレスがトントンと出る場面があるのですが、その時代ではありえないコンバースも監督の?ユーモアが加わって一瞬でているんですよ。
久しくDVD見てないなー。
そして 『面構 つらがまえ 〜今、気になる男〜』と題されているこちらのページには
ビートたけしさんや力士の神幸勝紀さん。次のページには
オラは死んじまっただあ。。。の作詞者 松山猛さん。
そして、最も迫力のある写真のテッド阿出川 パパ様です。
こちらで書かれている文をそのまま紹介しますね。
サーフボードメーカー/テッド阿出川
テッド阿出川、昭和18年生まれ。若々しい赤銅色の顔。千葉県は外房、太東岬の海岸沿いに店を開くサーフショップの亭主である。というより、日本のサーフ・シーンのフロンティアといったほうがわかりがはやい。
神田のネクタイ屋、それも大店のせがれとして育った阿出川輝雄。当然、羽振りはよく昭和30年代、一般庶民が自家用車など持てなかった時代にすでに、高級外車を乗り回していた御曹司である。
39年、大学生活途中にして突然、カリフォルニアに遊学、サンタモニカでサーフィンとサーフボードの製造法を学び、41年に帰国、会社をおこしてサーフボードの製造販売を始めるが「サーフィンとは一体なんぞや」という当時の日本、注文する客など1人もいやしない。当然、倒産。それでも平チャラの輝雄。本家のネクタイ屋のほうも危うくし、まだ反省の色のない輝雄。憑かれたようにサーフボードに取り組む毎日。周囲の状況を無視した執念の男。
日本のサーフィンの草分け、阿出川輝雄の少年のような純粋な夢は、44年、実を結ぶ。みずから製造したサーフボードが、日本プラスチック協会賞を受けるのである。そして今日のサーフィン。ブーム。
当世風の、いわゆる”湘南派”と呼ばれるダーファー(ダサいサーファー)にいわせると「テッドなんかは過去の遺物」となるが、輝雄にとっては他人のことなど、どうでもいいのである。ひたすらマイペース。好きなことを気ままにやって、我が道を往く。サーフィンブームが去り、棺桶に片足を突っ込む年齢になっても、この人は自分のオリジナルをつくりつづけていくだろう。社会の変動も、浮き世のしがらみも、この人には無縁だ。裏も表もないこの人の笑顔を見ていると、邪心にあふれた暮らしをしている人間の、いかに多いかを知らされる。アメリカでの愛称がテッド。汚染されることのない男の顔だ。 文・寺崎峻
「男っていうものはだな」って聞くのはついつい批判的になりがちでしたが、こちらの本で遠慮なくうなづいていた私。
BBQや家造り、買うものひとつにしても、男の仕事にこだわりを持つこととズバリな感じが嫁に来て肌で感じています。
ちなみに、BBQ、唐揚げとしらすパスタ、たらこパスタはJUNさん担当です。